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「世界一幸せな動物」刺繍tee

5,800円

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スロットで777出したクオッカワラビーがニッコリしてます。ハッピーな刺繍。これ着てスロット行ったら当たりそうな気がする。 「世界一幸せな動物」と呼ばれるクオッカワラビー。 なぜそう呼ばれるのか調べてみた。 “クオッカは、顎の筋肉が発達し、口角が上がっているため、常に笑っているように見えます。このことから 「世界一幸せな動物」とも言われています。”とのことだ。 そう、「世界一幸せな動物」と呼ばれる最大の理由は、常に口角が上がっていること。よく考えたらなんだそりゃって感じだ。でも、クオッカワラビーの笑顔にはなぜか「世界一幸せな動物」たらしめる説得力がある。口角が上がっているだけなのに。 逆に「スロットで777が出たから世界一幸せな動物と呼ばれている」みたいな説明だと、急になんか陳腐になる。 「そんなの僕も昨日ジャグラーで出しましたが笑」「うおw」「ゾウとかの方が長生きだし幸せなのでは?」「幸せのハードル低くて草」「あー分かる、それあるあるだよね😂」といった冷笑リプがついてしまうことだろう。 「なんか常に口角が上がっているから」よりも「777出したから」の方が幸せに具体性がある。なのに全く説得力がない。なんか安っぽい。 これは幸せのパラドックスと呼ばれている(俺に)。幸せの形を具体的にすればするほどそれについての反論が出てくる。「大金持ちで家庭を持っていることこそが幸せだ」くらいのことでも、お金持ちが幸せとは限らない、幸福度は富裕層の子供たちよりアフリカの子供たちの方が高い。だとか結婚して子供を産むことだけが幸せなんですか?そうじゃない人は不幸なんですか?といった類のことがいくらでも出てくる。 逆に「なんか常にニコニコしている」くらいだとあまり反論しようがない。幸せの形がふわふわしているほど「まぁなんか幸せっぽいな」となるし、反論する点がない。 闇金ウシジマくんで「世界一不幸な人って誰なんだろうね~」みたいなゲイバーでの会話の流れで、「わからない、でも、世界一幸せだと思ったことはある」と一人のゲイがサマンサ(ゲイバーの顔がいい店員)と過ごした日々を思い返し、心の中でつぶやくシーンがある。これが本当の幸せなのである。誰と比べるでもなく、心から幸せだと自分の中で絶対的に思えること。 幸せも不幸も全部自分の中にあり、結局はフルに主観なのだ。相対評価では辿りつかない領域にそれはある。 人に顔を踏まれることが極上の幸せの人もいれば最悪の気分になる人もいる。お金払って人のおしっこ飲む人もいれば、いくらお金積まれても飲みたくない!という人もいる。 大豪邸で暮らしていても得られない場合もあるし、缶チューハイと片耳づつのイヤホンだけで手に入る場合もある。 幸せってのはそんなよくわかんないものだけど、とりあえずクオッカワラビーのようにニコニコ笑顔で過ごせていることが大事っぽい。そしてそのことにたどり着いた人が日本には何百年も前にいる。 その証拠に、室町末期には既にこの言葉が狂言や俳諧などで使われていた記録がある。 「笑う門には福来る」 なるべく笑って過ごそうね。

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