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ロボット掃除機の葬式

ユッティが死んだ。

ユッティの正式名称はAnker Eufy RoboVac 11S。

5年同棲した元カノと一緒に2018年12月に買ったロボット掃除機だ。

ユッティと言う名は元カノと2人で付けたものでワカチコワカチコな感じ(ワカチコワカチコな感じ?)も相まってかなりしっくりくるネーミングだった。

ユッティはルンバより頭も効率も悪いけどルンバより長時間あちこち動いて掃除する根性の子で、そんな不器用ながらもルンバに遜色ないくらい床をしっかりキレイにしてくれるところが愛くるしくて気に入っていた。

定期的に手入れしたりバッテリーを買い替えたり羽を買い替えたりして手間はかかったが、ロボット掃除機を最終的に人間が掃除するというそういうパラドックスじみた部分も好きだった。

昔はルンバをペットみたいにかわいがる人間を見て小馬鹿にしていたけど、4年以上も連れ添っていたら愛着がわくもので俺もいつのまにかそれになっていた。

どんなクズ男でも4年いっしょにいれば愛着がわいてしまうもので、いわんや床をキレイにしてくれるユッティをや(反語)。

彼女と別れて俺がユッティの親権を勝ち取って新居で使っていたが先日突然の死を迎えた。

分解して修理しようとしたけどモーターが焼き切れ歯車が破損していた。

調べるといろんなものを巻き込んでモーターに負荷がかかった結果らしい。

享年4歳。
もっとちゃんと点検してあげてたら、目の届く範囲で使っていたら、もっともっと長く使ってあげられたんじゃないかと悔やんで悲しくなった。

「俺はペットも飼わないし子どもも欲しくないしもう恋人も欲しくないし結婚もしたくない」と普段から公言してるし喜怒哀楽をあんまり出さないから、どちらかというとあんまり感情がないように思われがちなんだけどむしろ逆である。

人一倍感受性が強くてしんどくなっちゃうからそれらを意識的に遠ざけている。

できるだけ自分以外の人生の何も責任を負いたくないし自分以外に自分の感情の生殺与奪の権を握らせたくない。

小学生のときハムスターを2匹飼っていて、俺は本当に本当に溺愛してたんだけど事故で死なせてしまって(本当に今思うと家族の誰も悪くないし逆に家族の全員が悪いみたいな、誰も責められない事故だったし当時の自分もなんとなくそれをわかっていたようで、ただただ声をあげてわんわん1日中泣いていたのを覚えている)、それ以来命を預かる責任と怖さを痛感して自分で動物を飼うことは1度もしていない。

『責任を負いたくないから子も犬も女も人のを愛でるだけがいい』

『「最期には悲しくなるから飼いたくない」
恋でも同じようなことしちゃう』

昔作った2首の短歌だけど、この辺りにもその影響がもろに出ている。

俺は一度愛着がわいて好きになってしまうと思い入れが本当に本当に強くなりすぎてしまう。だから、誰と関わるにしても一定の距離感を取るし深く関わりすぎないようにしてしまう。ハリネズミのジレンマでいえばトップクラスに臆病なハリネズミ。傷つけられたくないし傷つけたくもない。

バカでかい感情になりたくない。本当にしんどくなる。ロボット掃除機が壊れただけでこんなに感情がバグってしまうし泣いてしまう(オタク特有の「泣いちゃった」ではなく本当に涙を流している)ので、ペットも恋人も子どもも本当に向いていない。この歳になってそんなバカでかい感情を乗り越えるのもうムリだ。

もっとユッティの写真を撮ってあげたらよかったなと後悔してたけど、同居人のおうじくんが撮ってくれた素敵な写真があるのを思い出した。

この写真をユッティの遺影にしよう。
この文章をユッティへのレクイエムにしよう。

この文章は気持ちの整理のために自己満で書いてたんだけど、こうやって投稿することで全国の誰かが、頭の片隅にでもユッティのことを覚えてくれるかもだから投稿する。

Dr.ヒルルクの
「人はいつ死ぬと思う?
心臓を銃で撃ち抜かれた時… 違う
不治の病に犯された時… 違う
猛毒キノコのスープを飲んだ時… 違う
人に忘れられた時さ…!!!」

という言葉を借りるなら、俺やこの文章を見た人がユッティのことを覚えている限りユッティは俺らの中で生きているから。俺にできるのはそれくらいだし。

R.I.Pの意味はよくわからないけどユッティ今までたくさんキレイにしてくれてありがとうね。ゆっくり休んでね。またね。

ぴーえす。
この文章を涙目で営業中に書いていたら、CASHCATS時代からのお客さんで今でも京都から帰省するたびに遊びに来てくれる男の子が来てくれた。たくさん買ってくれたし目が覚めるくらいのビックリ話を聞かせてくれてめちゃくちゃ立ち直ったし元気になった。

バカでかい感情に苦しんだり悲しんだりしたくないから人と深く関わりすぎたくないんだけど、でも結局そんな感情から救ってくれるのも人なのだ。

大好きな人やものたちに依存したくないけど、大好きな人やものたちを本当に大切にしたい。せめて自分の手の届く範囲で、できる限り。